February 17th, 2013
神様の目に、私たちが値高いと言っているのであります。そして、ヨハネ3:16にあるように、
独り子をお与えになったその愛で自分自身を愛することであります。キリストの十字架を通して自分自身を見つめることであります。
世の中の視点で自分を見ることでなく、神様の視点で自分を見つめること、これが真の正しい自画像であります。神様が愛して下さったその愛によって、自分自身を愛する事であります。そのときに、私たちの自我は癒されるのであります。私達は神様の愛を知る事が、まず第一であります。神様の愛を知るならば、その愛をもって自分を愛する事ができるようになります。そして、その愛された愛をもって、隣人を愛する事ができるようになるのであります。
3つ目に、隣人との関係であります。私達は『教会』という共同体に属しています。教会は、イエス様を通して私たちが愛の関係を結ぶ場所であります。多くの世の中の共同体も色々な関係においてつながっています。私達は普段の生活において、二つの生き方を選んでいます。それは『目標達成主義』の生き方か『関係構築主義』の生き方であります。私達は人生において何を最も大切な生き方の指針にしているでしょうか?学者になりたい、弁護士になりたい、金持ちになりたい、様々な目標があります。しかし、それらをすべて成し遂げたとしても、私たちにはその次の目標を掲げればきりがないのであります。沢山の財産を得て大金持ちになった社長がいたとしましょう。しかし、彼が晩年、死んで葬式が行われる時には、葬式に来てくれる人が誰もいなかったとするならば、彼の人生は不幸な人生であったということであります。彼は金持ちになるという目標を掲げて生きて、それを達成したのにも関わらず、一生の間に真の愛の関係を築いた人が誰一人としていなかったということであります。神様の働きも同じであります。教会は神様によって建てられたものとして、大きくまとめるならば、二つの使命を持っていると言えます。それは、
『目標達成型』と『関係構築型』の使命であります。クリスチャンの生き方は、そして教会はこの二つの使命が車の両輪のように力強く回転しなければならないのであります。
ヨハン早稲田キリスト教会-モーニングチャペル
February 15th, 2013
二つ目に、自分自身との関係であります。マルコ12:31にあるとおり、「自分自身を愛するように、隣人を愛しなさい」とあります。ここで気づかなければいけないことがあります。それは、これは隣人との関係だけでなく、自分自身との関係にも言及しているということであります。『自分自身を愛するように』、隣人を愛しなさい、とあるからです。なぜなら、自分を愛する事ができないのに、他人を愛する事ができるでしょうか?自分を受け入れることができないのに、他人を受け入れる事ができるでしょうか?私達は人間関係においてつまずく事が多くあります。しかし、何よりもその前に自分自身との関係で躓いている事が多くあるのではないでしょうか。
私達はイエス様を知る前には、自分自身を愛する事さえもむずかしかったのです。劣等感や優越感に悩まされ、自分自身を愛する事ができない状態がありました。そのような自画像は、世の中から自分自身を見る視点です。他人との関係の中で自分自身を見つめることです。自分よりも優れている人を見つければ劣等感を持ち、自分よりも劣っている人を見つければ優越感を持って人を見下す事が、私たちにはあります。他人との比較の中で、自分自身の自画像を作り上げます。しかし、それは真の自画像ではありません。
ヨハン教会
February 11th, 2013
ヨハネ14:21
神様の戒めに従うことを通して、神様ご自身をあらわして下さると約束しています。
そして、神様との関係は何によって妨げられるのか、それは「罪」であります。クリスチャンの信仰生活はすべて「関係」という言葉を通して解き明かす事ができます。罪とは、神様との関係の破壊です。アダムの罪によって、神様との関係が破壊されました。現在とは、神様との関係が破壊された状態であります。そして、救いとは、キリストの十字架の贖いによって神様との関係が回復することです。そして、私達の信仰生活は、罪によって破壊されていた神様との関係が回復し、和解したものとして、ますます神様との関係を強く、太くしていくこと、それが私達の信仰の歩みであります。
参照
February 10th, 2013
何の為に使えば良いのか迷うほどの土地をもて余して、彼はその土地を保有しながらも、何に使って良いのか分からずに、貧しい生活を送っていました。しかし、ある時に彼はその土地の奥深くに石油が埋蔵されている事を発見したのでありました。彼は地面を掘り、石油を発掘し、そして金脈も発見して、彼は一番の大金持ちになったそうです。彼は大きな土地を保有していました。しかし、その土地が何であるのか?知らずに貧しい生活を送りました。しかし、彼がその奥不覚に石油と金脈という無尽蔵の財産が眠っていることに気付いた時に、彼は最も豊かな人生を送るスタートを切ったのであります。私たちにはどれだけ神様という霊的な財産を持っているでしょうか?それはこの例え話のようであります。神様と親しくなるならば、我々はまだ知らない神様の愛と恵みを悟るようになるはずであります。それでは、どのようにして、私達は神様に近づき、神様を深く知るようになるか、御言葉から見て見ましょう。
February 10th, 2013
このようにして、私たちにとって、最も受け継ぐべき財産は神様ご自身であることを心に留めましょう。そして、本文のマルコ12:28にあるとおり、永遠に共に住む神様を愛することが、私たちに与えられた第一の戒めであります。クリスチャンにとって、神様という霊的な領土が広がるとは、何を意味するのでしょうか?それは神様を深く知るようになることです。私達は聖書を通して神様という存在がどういう方であるかを知りました。そして、神様の品性について、愛について、義について、私達はまだまだ多くを知りません。神様と親しくないからであります。神様と親しくなり、神様を人格的に知ること、それが神様という領土が広がることであります。あるアメリカ人は広い土地を持っていました。
ヨハン教会|書籍紹介
February 8th, 2013
宗教は英語でreligionと言います。しかし、ある学者はキリスト教はreligionではなく、relationであると言います。なぜなら、聖書の最も大切な戒めが神との関係、人との関係に
おいて集約されるからであります。
私達は『教会』という共同体に属しています。教会という共同体は私たちが3つの関係において考え、そしてそれらを成熟させていく共同体であります。神様との関係、自分との関係、そして隣人との関係であります。それらの3つの点について考えて見ましょう。
1、まず初めに、私達と神様との関係であります。領土とは、聖書でどのように出てくるでしょうか?聖書では「しぎょう」という言葉が出てきます。これらは、「受け継ぐべき土地」という意味を持ちます。そして、私たちにとって最も大きな霊的な財産は何でしょうか?それは神様ご自身であります。私達はクリスチャンとして、神様に永遠に仕える存在であります。そして、それは旧約聖書の時代では、特に神様に仕える存在として、レビ族があげられています。レビ族のしぎょうの土地は何だったんでしょうか?ヨシュア記13章33節をお読みしましょう。
ヨハン教会
February 7th, 2013
『私の領土とは何か?』という主題を持って御言葉を分かち合いたいと思います。皆さんは領土というとどのような印象を持つでしょうか?例えば日本であれば、北方領土の問題、日本とロシアとの関係においてネックになっているのはこれですね。他にも竹島問題、尖閣諸島問題、色々な領土の問題でありました。そして過去の歴史を振り返るならば、領土に関する争いは絶えなかったのであります。それはなぜかといえば、領土が、お互いの利益を意味したからであります。例えば、北方領土は日本とロシアの様々な海運上や海の資源に関する利益の事で決着がついていないのであります。
それでは、「私の領土を広げてください。」とは何の領土でしょうか?皆さんの領土とはなんでしょうか?自分の財産か、自分の地位でしょうか。それは、お互いの利益を奪い合うような、そのような領土ではありません。誰かが侵略してくるような、そのような領土でもありません。クリスチャンの領土とは何でしょうか?それは「関係」の領土であります。私達は毎日、3つの関係の中で生きていると言えます。それは神様との関係、隣人との関係、そして自分との関係であります。私達は毎日、誰かと関係を持ちながら生きています。人は、毎日関係の中で生きる生き物であります。誰一人として、自分ひとりで独立して生きることはできません。